曇りのち、快晴☆
10周年、ということでやっぱり特別なコンサートなんだなぁと思った国立。
選曲とか演出とか。
比較的新しいファンの私には、実感のできない重みがあって
何度か「ここにいていいのだろうか」って感じた。
それは、行く前からも感じていたことやけど。
今回の当落以降、いろんなファンの人がいるなぁと思うことが多くて
この倍率の中、何が何でもチケットにこだわる人もいるし
友達のために!て必死になれる人もいるし
初めてのコンサートです!て喜んでる人もいれば
全滅して苦しんでる人もいる。
本当に大きなグループになんだなぁ、とつくづく感じた。
そんな中でも、やっぱり古くからのファンの人は
応援してきた年月分、「10周年」というのは特別で
だからこそ、国立は古株が行くべきだ!と思ってる人たちがいるのも事実で・・・。
そう思うと、100%このコンサートのありがたみを感じられない私が
ここにいていいのかなぁ、と。
中途半端な気持ちじゃ申し訳ないから、精一杯楽しんだつもりではあるけど。
正直、どっかで「のけ者」みたいな子どもじみた感情もあったのか
見えない壁に少しだけもどかしかった。
でも、嵐の今までを振り返る映像を見ながら
すすり泣いたり、真剣に画面を見るファンを見ながら
ずっと応援してるファンを大事にできる嵐が愛おしいな~て思った。
あぁそうだ、この人たちの人柄に惹かれたんだったなって。
どのコンサートに行っても、一度は客席を見渡して
同じ動きをうするペンライトの灯りに
ここにいる人たちはみんな住んでる場所も年齢も性格もバラバラやけど
でもこの時間だけは同じ空間を共有してるんやなー。
ていつも思う。
国立でも、ペンライト(赤一色で怖かったけどw)見上げて
普段は新規だ、古株だ、同担がダメだ、て言ってても
今この空間を作ってるのは同じなんよなぁてあったかい気持ちになった。
みんな嵐が好きなんやなーて思っただけで、なんか泣けた。
メンバーの言葉や、思い入れの曲に
分かる分かる~、と軽々しく踏み込めないし
やっぱり、かさねた時間の重みを共感することはできないけども
同じ空間に居合わせた者として
10年目という節目を迎えた嵐とファンを讃えて拍手したいような、そんな気持ちになった☆
そして、メンバーの言う「ありがとう」は、確かに全てのファンに向けられたものやと思う。
それから。
大きなグループになったのは違いないんだろうけど
でもやっぱりコンサートに行くとすごく近い存在でいようとしてくれるんよね。
客席を見て、一生懸命盛り上がって
少しでもお客さんと一緒になって楽しもう!て。
みんながみんな優しい笑顔をしてて、それだけで癒された☆
家に帰ってパンフレット読んで
選曲をはじめ、いっぱい葛藤した末での、コンサートだったこと。
いろいろなファンのことを考えていてくれていたことに
更に感謝で、涙が止まりませんでした。
勝手に線を引いて、勝手に遠く感じてたのは私の方。
改めて、嵐ファンで良かった。ありがとう。
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